モネピィの哲学

Twitterで歌ってます。 もね@mone_20201222

16:弟への愛

私には妹と弟がいる。

私は今32歳で

妹は1歳下、弟は3歳下。

 

弟がとても変わり者で困っている。

どう関わっていけばいいのか

本当に分からない。

 

アニメとゲームのオタクで

システムエンジニア

自分のことしか考えてなくて

東京に住んでるから

会うことも少なくて(私は京都在住なので)

誕生日にLINE送っても返ってこないし

向こうからは連絡してくることはほぼない

 

たぶん嫌われてるんだと思う。

 

私の家は、

私が中3の時に父親が病気で亡くなったので、

私母妹弟の4人家族でやってきた

 

私は未熟者だったから、幼かったから

弟に対して

姉であるという権限を使って

弟の気持ちも慮らず当たり散らしてしまった

 

そんな過去もある。

 

私の家にはお金が無かったし

頼れる人もいなかったので

私妹弟の3人で協力し合って1つの家に住んでたこともある。

 

弟は家族の中で男ひとりだったから

理解してあげられなかったこともたくさんあると思う

寂しい思いもたくさんさせてしまったと思う

傷つけてしまったこともたくさんあると思う

 

弟と良い関係を築けなかったことは

私にも責任がある。

どちらか一方が悪いわけじゃない。

関係というのは

どんな関係性においても

どちらか一方が悪いせいではない。

2人共の問題なんだと思う。

 

私の勝手な考えを言うと、

父親というのは厳しさを教える存在

母親は優しさや愛を教える存在

それぞれの役割があって。

両方を見ることによって

比較することで

そこから多くのことを学べるんだと思う。

 

違うものを比べて考えて初めて

じゃぁ、

自分はどう在るべき?

そんな風に考えることができる

 

比べられる様々な物事に触れることによって

自分にとって大切なことに気付けるし

自分自身を育むことができる

 

いろいろな人の存在のおかげで

自分というものを位置付けることができている

 

父親という厳しさを教える存在を無くしたことで、

誰からも叱ってもらえなかったことで

甘えん坊な大人になってしまった

私自身がそうだし、弟もそうなのかもしれない。

 

私も子供だったんだから仕方ない。

そう思って、自分を嫌うことは簡単。

何もしないことは簡単。

はたまた誰かを責めて責任転嫁して

他のせいにして

それでスッキリ済むなら良いのだけど。

そうしていても私は納得いかないし、

よりいっそ、そんな卑怯な自分をずっと責めることになるだけ。

 

私の家系は目が悪くて

私も母も弟も網膜剥離の手術をしている。

弟は手術に何度も失敗して、

片目はほとんど見えなくなった。

もう片方の目の手術をするのにお金と付き添いの人が必要で。

 

今まではできる限り協力してきた。

でも、

 

妹の結婚式にも出席せず

自分が困った時だけ業務連絡のように連絡してくる弟に、

 

私は久しぶりに怒った。

 

私は怒るのは嫌いやから

できたら怒りたくない。

 

そうは言っても

相手の言うことを全面的に聞き入れて、

甘やかすのは愛じゃないと思った。

 

そして言いたいことを言わない私も

自分を甘やかしてるんやと思った。

 

言わないんじゃなくて、

言えなかっただけ。

言う勇気がなかっただけ。

自分を正当化して逃げてるだけ。

 

怒りを使って伝えてしまったのは

私が未熟者だから。

私は姉として、上に立つものとして、

権力を振りかざして怒りという暴力を手段に

相手を従わせるのは間違ってると思う。

私は未熟者。

それがうまくできないくらい

小さな人間で。

その度に反省することしかできないくらい愚か者。

 

でも、怒りが出てきたのは弟への愛があるからだとも思う。

どうでも良い、関係ない

と思ってたら、何も思わない。

私は弟に憎まれても

嫌われても恨まれてもいいと思った。

 

私は、私が正しいとは思ってない

それでも、何も伝えないでいるより

怒りの力を借りながらでも、伝えるべきだと思った。

 

弟を怒りを使って動かそうとしてるわけではなく、

私の気持ちを分かってもらいたいから

でもない。

 

人の気持ちを考えろ

いい加減にしろって弟に言った

業務連絡みたいに連絡すんなって言った

 

私は子育ての経験もないし、

まだまだ何も分かってなかった。

 

怒るじゃなくて叱るっていうのがこういうことかって

今日初めて分かった気がする。

 

伝わってないけど、

私は心の底から弟に幸せになってほしいと願ってる。

姉としては、

生意気な弟も可愛いねん

どんだけ嫌われても可愛いねん

 

フォローは妹や母に任せればいい。

私は弟に教えるためになら

嫌われ者になってもいい

 

その役割を担ってもいいくらい

弟を愛してると思った。

うまく伝えられへんのは私が悪い。

 

もっともっと人として成長したい。

 

15:2020年の目標反省からの、ゲーム

「自分の気持ちをありのまま受け止めること」

 

それが今年の始めに立てた目標。

 

目標なんて立てたとしてもすぐ忘れるのに、

今年だけはハッキリ覚えてた。

 

たぶん、事あるごとに思い出し続けたからだと思う。

毎日、何の変哲もない日常を繰り返しているはずなんだが。

その中ですら、感情の起伏はたくさんあって、

 

なんでもないような、

ちょっとしたことで傷ついてしまったり、

浮かれてしまったり。

謎に悲しくなったり。

かと思ったら嬉しくなったり。

 

 

生まれてきてしまった感情

それが悪いものだと思ってしまった時、

 

それを隠そうとする

責任転嫁しようとする

無かったことにしようとする

そんな心を守る動きがあって

 

そしてそのことに関しても、

本当にそれでいいのか?

問いかける心があって

罪悪感があって

正義感があって

自分を責めて

 

たったひとつ

感情が生まれただけで、

それを取り巻くややこしい

たくさんの思考達。

 

私は、そのひとつひとつを受け止めながら、

それぞれの気持ちを理解してみたかった。

 

複雑に絡み合うひとつひとつを紐解いて、

もともと感じた感情と、

その理由を見つけ出したかった。

 

そうすることが、

今までの私には足りてなかったと思うから。

 

本当の意味で理解して

自分のモノとするためには

思っている以上に

何問も練習問題が必要なんかも。

 

 

自分の感情と向き合うことが大切だと頭では分かっていても、

きっとまだまだ分かってないんだと思う。

分かったつもりなんやと思う。

 

何回も繰り返して確認して、

丁寧に解説していく。

なぜ怒っているの?

なぜ傷ついたの?

本当はどうしたいの?

 

他の誰とでもなく自分との対話。

 

そこには、

惨めで

醜くて

腹立たしくて

弱虫で

臆病な

 

目を背けたくなるような私がいた。

見つけたくない私がそこにいた。

 

そんで。

そんな自分から逃げずに

向き合う練習をしてみたのが今年。

 

まぁ正確に言えば、

逃げる自分もいるんやけど、

それを否定するんじゃなくて、

それにすら向き合ってみた。

 

やっぱまだまだ練習が必要。

でも、少しずつ弱さも受け止められるようになってきている感覚はある。

…たぶんww

 

 

自分のことくらいしっかり理解したい

幸せにしてやりたい。

人を幸せにする前に。

 

 

何をするにせよ、

心に決めて、とことんやってみることは

とても学びになる。

 

みんなを大事にしようと決めて突き進んで、

八方美人になって

何が正しいのか分からなくなったり。

 

私の意見が1番正しいんだ!と、

それを武器に

周りの全てと戦うことを選んでみたり。

 

やってみると、何かにぶつかるし、

そこで考えるチャンスがくる。

 

自分が選んだことに対する

エストが用意されている。

 

今までと違う問いかけが待っている。

 

それを乗り越えるには、

一度手にした武器を、

捨てないといけないんだと思う。

 

思いっきりやってみて無理だったら

諦めがつくものだし、

中途半端だと壁すら現れない。

 

 

中途半端に生きるってのを全力でやってれば、

中途半端に生きてる人向けのクエストが発生するんやと思う。

 

間違っててもいいから、

とことん突き詰めてみればいいねん。

 

何かに向かって突き進んでる人を見ても、

あんまり嫌な気持ちにもならない。

 

きっと、何かのミッション中なんやな、、

そういう風に見えてくる。

むしろ可愛く見えてくる。

 

 

この人によって必要な学びがこの先にあるんやろうなぁー。

何か答えが見つかるといいねー。

がんばってねー。

 

って言葉にはせず

心の中で相手に話しかける。

 

私たちは、ひとつひとつの課題をクリアしていってるし、

その順番や難易度や設定はそれぞれ違うから、

干渉しないほうが良いこともたくさんあるんやと思う。

 

だって結局は、

自分の力でクリアしていくしかないんやから。

自分の力で気付いていくしかないんや。

 

例え、

答えを教えてあげることができたとしても、

過程が抜けてしまえば、

やはり、本当の意味で理解はできない。

 

答えは自分で探し出すからこそ、

光り輝いて見えるんだと思う。

 

攻略本を見たらクリア出来るかもしれんけど、

苦労する経験ができない。

 

苦労があるからこそ、

価値が増す。

そういう

一連の流れというか、

とにかく、そこが大事なんよ。

 

 

全然上手く言えへんww

 

 

ん???なんでこんな、ゲームみたいな話に

なってんのɿ(。・ɜ・)ɾⓌⓗⓐⓣ?

 

 

ゲームみたいに軽い気持ちで生きてみてもいいし、

現実はゲームじゃないんやぞ!

っていうので生きてみてもいい。

 

ハリセンボンの針のように、

1本1本尖った針で壁を突き刺して、

クリアできたらまた違う針を持って

そしてまた出てきた壁を

突き刺してクリアして、

たくさんやればやるほどに、

ハリセンボンみたいに丸になっていくのかもしれない!

 

 

ってことで、今年の反省は終わり!

これ、反省になってた?

まぁいっか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14:信じることで行動が変わる

何が正しいか?

そんなのどうでもいい。

 

大事なのは、

「何を信じるか」だと思う。

 

そして、それを信じることによって、

自分の行動に

「どう影響するか」

ってこと。

 

 

自分の進みたい方向へ進めるのなら、

嘘でも何でもいい。

自分の都合で作り上げてもいい。

信頼できる人の言葉を信じてもいい。

宗教や神を信じてもいい。

自分の思うことを信じてもいい。

 

 

何かを信じることによって

自分の行きたい方向へ向かう行動が取れていたとしたなら、、

 

それで良いと思う。

 

 

 

信じることのメリットは、

 

疑わなくなること

迷わなくなること

ブレなくなること

安定すること

 

他にもいろいろある。

 

疑うと疑心暗鬼になる。

気持ちは言葉にしなくてもだいたい相手に伝わる。

疑う気持ちを抱いているだけで、

信頼関係を築けない。

 

そもそも、

何が真実かなんて

知りようがないやもん。

 

 

探そうとしてみたことはあるけど、

 

見つかるわけない、あきらめよう。

って答えに辿り着いただけ。

 

 

人の本当の気持ちは分からないし、

偏見のフィルターを外せないし、

何の判断もせずに物事を認識することは出来ないだろうし

 

判断を伴ってる時点で、

少なくとも既に別のカラーに塗り替えてる。

 

本当に正しいのはどの色だ⁈

 

というような無意味なバトルが始まる。

 

 

人の数だけ色はあるから、

もうどれでもいいやん。

しかもどれも別に違うんやし。

 

物事には、

色なんてついてない。

意味なんてついてない。

 

善悪も良い悪いも

何も付いてない状態が真実。

 

 

まぁあえて色で言うなら、

透明とでもいうか。

 

 

真実を追い求めるより、

大事なものがある。

 

どこへ進みたいかを考えて

その目的を達成できそうな思考をお供に

前へ進む!

 

もちろん、何を決めようとそれは、

自分だけのルールで。

 

 

常識であれ、

決まり事であれ、

守るか守らないかは結構自由だと思う。

 

 

規則なんて、

作った人の目的を叶えるための他人への強制なのかもしれない。

 

 

とりあえず

自分ルールは、

他の人には適用できないってことを

きちんと理解しとこう。

 

結局なんの話やっけ?

眠い!おやすみ〜

 

13:信じるとは

この人のことは信じていいんだろうか?

 

そもそも信じるとはなんだろう?

 

自分の思い通りに動いてくれること?

 

期待すること?

 

 

 

自分と似ていると思える人は信じることができる。

 

なぜなら、似ている同士だとしたら

自分と同じようなことを選ぶだろうと予測できるから。

 

自分と違う人は信じられない

 

というか、予測がつかない。

 

どんな行動を取るのかは、

 

価値観に基づいて判断をして選んでいるもの。

 

違うものに価値があると感じている人は

信じられないというか、

 

ただ、

予測不可能

 

って方が合ってる。

 

予測不可能な人は、怖いと思ってしまう。

 

 

単純な人って安心する。

 

期待通りの反応をくれると

何故だか安心する。

 

 

目に見える言葉や態度よりも、

 

その人が何に価値を置いてるか

 

何を目的に行動しているか

 

 

自分とは全然違う行動の原動力を持つ

そんな人達を見て、

 

面白いなと感じる。

 

 

こんなにも違うなんて、

ほんとに面白い。

 

 

そうそう、信じるって言葉の意味を

 

みんながどう考えてるか分からないけど、

 

期待してるって意味で使ってる気がする。

 

 

期待通りの結果が得られなければ、

 

裏切られたって

傷ついているが。

 

 

そうじゃなくて、

 

私の信じるは、

 

相手が何を選んだとしても、

 

いいよっていう。

 

 

あなたはあなたのままでいいよって

あなたの選んだことなら何でもいいよっていう

 

自分の期待通りじゃなくて

 

あなたが選ぶものを信じるから

 

何があっても。

 

何があっても、理解しようとしたい

 

何があっても、相手の幸せを願う気持ち。

 

そんな

相手に対する自分の思い。

 

それが、

確実に存在するよっていう自信。

 

 

それこそが、

 

私にとっての「信じる」ってこと

 

 

裏切られるとか

 

そんなことはあり得ない。

 

 

裏切られるってことは自分の都合の良いように相手に期待してるってだけ。

 

 

この気持ちが届けばいいなって思う。

迷惑じゃなければ、

もっとそばにいたいなって思う。

 

自分の心が知ってる。

 

あなたといたら安心する。

 

心は素直。

 

安心する心が知ってる

あなたを信じてるってこと。

 

安心をくれることに感謝してる。

 

 

そんな存在に、

離れてても親友だと思える人に

この短い人生で出会えたことに感謝してる。

ほんとにありがとう。

 

いつも私を思ってくれてた

 

今も絶対そう。

 

愛に溢れてたあなたの笑顔が

 

今日も私に愛をくれる。

 

 

もしも叶うならばもう一度、

一緒にディズニーランドに行って、

サヨナランドを2人で歌いたい。

 

どうか、今も幸せでありますように

 

心から願える

こんな温かい涙と気持ちをくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

12:心の葛藤を優しく見守る

普段、人には言わないコトがある。

 

絶対言えないコトってわけじゃなくて、

秘密にしてるわけでもなくて、

 

別に、

特定の誰かに向けて言いたいコトじゃないから。

 

そして、

分かってもらえなくてもいいから。

共感を求めてないというか。

 

となると、更にいう必要性は無くなってしまう。

 

 

だけど、何も思ってないわけじゃない。

 

昨日言ったことを、

もう一回言いたい時もある。

2日連続どころか、1ヶ月間同じことを何度も自分の中で繰り返し思ってたりもする。

 

それを、

仲が良い友達に、

気が済むまで何度も同じ話をする!

 

ってわけにもいかない。

同じ話って、

同じ人に2度3度するのも

どうかなぁと思うし。

 

同じこと何回も言われたら聞いてる方は飽きてくるやろ。

 

でも、

自分の中ではまだ消化しきれない出来事があったりして、人に話したい時もある。

 

私はその自由を、

このブログに求めている。

 

同じ内容を何度書こうが、

私の自由。

読み手も、同じような内容で、

読みたくないなら、

読まなければいいだけの話。

 

この強制力のない自由さが気に入っている。

 

 

さて、話は少し変わりますが、

 

あなたは自分の感情を

捻じ曲げずそのままストレートに

感じることができますか?

 

私には、、、

 

無理です‼︎

 

 

辛くなったら、現実逃避が始まります。

 

たぶん、自分の中で事実を作り替えてしまうことも多々ある気がします。

 

うん。

やっぱどう考えても、

都合が悪くなると私のせいじゃないぞーって

正当化してしまってるんよな(^^;)

 

どんな時でも、

揺るがない自分でいたい!

逃げたくなーい!

私は何があっても、嘘偽りない誠実な自分でいたい!

 

無理よね。。。。

 

 

どーにもこーにも

受け入れ難い現実に対峙した時、

 

自分の中の天使と悪魔が葛藤して、

なんとかギリギリ勝つか、

負けてしまうこともけっこうある。

 

負けた時は、

どうにかこうにか

自分は悪くないんだーー!って思いたいから、

その証明のために必死で理由を掻き集め始める私がいる(^^;)

まぁ、そんな葛藤があることを人には言えない。

 

言わないのか?言えないのか?

どっちにしても

わざわざ言いたいことでないことは確か。

 

 

例えば、

仕事で、自分のミスが発覚した時として、

 

そんなはずない

そんなはずがない

そんなはずがあるわけない

何かの間違いだーーー

 

って誰かや何かのせいにならんか探してる自分がいる。

 

私は自分の間違いを認められる人間なのだ!

 

と、胸を張って

出来ることなら言いたいが。

 

胸を張るどころか…

猫背寄り。

 

もういっちょ例えると、

自分が良かれと思って相手のためにと思って、

何か喜びそうなものを選んでプレゼントして

 

そんなものは必要ないからいらんし

もらえません

と断られたとして。

 

そーか!いらんことしてごめんやでm(。≧Д≦。)mスマーン!!

とか言いながら、

内心、

いや、初めから別に

たまたま買い物行った時にふと思い出したから買ってみただけや!

別にいらんのなら迷惑ならそれでいいねん。

ごめんな。

別にいいねん。

それでいいねん(T ^ T)

 

みたいに、傷つきたくなくて

傷ついてないフリ

そして本当は選んだ自分が可哀想で、

描いてたハッピーエンドになるはずの自分と、

現実の自分があまりに違いすぎて、

その事実を受け止められなくて、

 

そんなものは初めから存在しなかった

違う自分がいたフリをする。

記憶を書き換えようとし始める。

 

 

相手の気持ちをそのまま受け止めて

余計なお世話してごめんなさい。

って、

思えばいいだけなのに。

 

たぶん

相手を喜ばせたいって自分がいたがゆえに、

辛いんだと思う。

だってまさかの真逆の結果だから。

そりゃ辛い。

 

こんなんは全部

心の防衛機能によるものやから、

当然やし、仕方ないことなんやけど。

 

 

とりあえず、

逃げようとする自分

責任転嫁したがる自分

 

醜い自分がいることに

目を背けないでいたい。

それぐらいなら頑張れば出来る。

 

そうすることが、

長い目で見た時に、

逃げることよりも遥かに

楽な生き方のように思う。

初めは辛いし難しいやろうし、習得するまで時間はけっこうかかるんやろうけど、

たぶん慣れの問題。

 

みんな完璧ちゃうねんから!

全部成長過程やん!

今後の成長を期待して優しく見守ろう。

自分に対しても、

もちろん周りの人に対しても。

 

ありのままを認めていった方が心から楽しんで生きれるようになるんじゃないでしょうかー。

 

よし!オッケー!

 

 

 

 

 

 

 

 

11:相対主義と自分の物差し

正しさとは何か?
善悪とは何か?


絶対的な真理なんてない。
価値観は人それぞれ違う。
それが相対主義


今日は相対について、考えてみたいと思う。

相対的ってなんだろ?
んーー


自分の物差しがあるとして。
自分が知ってるものを、
順番に並べていく。


大きい→小さい
重い→軽い
良い→悪い
つまらない→面白い
温かい→冷たい

その出来たその物差しで、測るって感じかな。


その物差しに条件をつけていく。
地球にあるものの中で、
動物の中で、

会社の中で、

人間の中で、

この100年の中で、

日本の中で、とか。

それに対する自分の物差しを

それぞれみんなが作って持ってる。


自分の中で無意識に枠組みの中で考えてるけど、
この枠組みの概念さえも、
人それぞれ違っていたりする。
自分の常識が、みんなの共通認識だって、
勘違いしてて。
みんなそれにすら気付かず、
疑問すら持たずに論争してたり。

 

会社にとって、何がいいんやろう?

 

まず、会社とは何か?

何をするためのところか?

同じ場所に集まっていても、

人それぞれ目的も違う。

どう生きたいのかも違う。

欲しいものも求めているものも幸せの定義も全然違う。


設定やら条件やらステージやらを
しっかり定義してから話し合った方がいい気がする。


いい気がするって言ってる自分もだいぶ適当やけどなww
だから、どういいねん!ってのを明確にした方がいいねん。笑

 

会社でお金を稼ぐを第一の人は、

こうした方がいい。

会社で自分の経験を増やしたい人は、

こうした方がいい。

会社で楽しく働きたい人は、

こうした方がいい。

 

会社でっていう括りじゃなくて、

目的別に考えた方がいい。

 


四季で考えると、
全部に共通する何かを話し合うより、
夏にとっては、これが良い
冬にとっては、これが悪い


どう良いのか?
どの季節にとって良いのか?
誰にとっていいのか?

どんな目的において良いのか?

それの枠組み考えるのが大事ってこと。
いったん細かく季節ごとに考えてみるのが大事ちゃうかな?ってこと。

 

 

こんな説明でちょっとくらい伝わるんやろか?
言語化すんのって難しいよねー(^^;)

 

「万物の尺度は人間である」
という、プロタゴラスの主張は紀元前の話。
そんなに前から相対的な見方があったってことが本当にすごい。

 

同じ行為でも、
国や文化や時代によって、
違って判断される。
善悪の基準がそれぞれ違う。

 

例えば、
ヒーローが悪役を倒す。
ってのは、

正義で立派な行為だとも捉えられるし、
ただの復讐心に駆られ正義者ぶった犯罪者にもなり得るし。

 

 

善だと思ってることは所詮、
自分の経験に基づいた判断による
主観的なもので。

私達は、
経験、歴史、文化、
その背景越しにしか、
それをベースにしか物事を理解できない。

 

理解するというのがそもそも、
自分の中から、寄せ集めて自分自身を納得させたもの。

 

自分という枠組みの中だけなんだと、


それを意識出来たら、

外側があるんだと、初めて気付ける。


自分の経験知識の中だけで考えてしまうと、
絶対的なものが出来上がる。


それを疑うためには、
私は知らないを知る必要がある。


てか、ソクラテス無知の知
ソクラテスまじですごいよねー。


ん?何の話がしたいんやっけ?

あれ、話がズレてきた。笑

 


今すごいって使ったけど、

何がすごいのか?
私にとってのすごいとは何か?

そこを考えたいのんよ。

すごいってだけで、
へぇ〜すごいんだ!!って思ってしまいがち。

 

そして、まじですごいっていう表現しかできない私。
表現力の乏しさ‼︎

 

悪いを知らないと良いも分からない。
悪にも、有り難みを感じる。
悪がないと善もない。
それを測る物差しが作れないから。

 

だから、単純に、
悪いものが無くなれば良いという問題じゃないねんな。

 

良いことばっかりがあったとしても、
相対的に考えると、
その中で良い悪いを並べることになる。

つまりまた悪いが現れる。
どれだけ悪を追放しようとも、
その中で善悪の物差しを作るから、
結局悪は出来上がる!

 


嫌なことが無くなればいいなぁと思うけど、

嫌なことは無くしても無くしても出来上がる。

逆に、
嫌なことがあるおかげで、
相対性の物差しが新調されて、

普通だったことが
良いことに変わっていたりする。


そう捉えると、
必ずある悪に対して、
逃げるたり排除しようとするより、
感謝する方が賢明じゃない?

 

現実や真実なんてどうでもいい。

どう捉えるかで、行動が変わる。

どうなりたいのか?

どう生きたいのか?

どう考えれば、なりたい自分になれるのか?

 

 

自分の好きなように飾り付けて

他人とは違っても気にしなくていい。

素敵な物差し作っていこう!

10:雨が線だという認識

雨を絵に描いたことあったっけ⁇

 

もしかしてないかもしれない。

でも、描くとしたらきっと、

「雨」を「線」で描くと思う。

 

今日読んでた本に、

昔は、

雨そのものが絵画として描かれることなく、

周りの変化、つまり、

傘やレインコートを着てる人

水溜まり

濡れた地面

などで雨が降っていることを描写していたんだとか。

 

そんなこと、今まで考えたことなかった。

雨が線で描かれることが普通だと思ってた。

 

初めて雨を線で表現したのは、

歌川広重で作品名は、

「大はしあたけの夕立」

 

それ以来、雨を線で描くのが一般的になったんだそうな。

ふむふむなるほど。

その作品のお陰で、

人々は「雨は線のように降っていたんだ」

と気付き、認識するようになったらしい。

 

さて、

認識とは、何だろう?

あるひとつのことに気付いてから、

世界がガラッと変わって見えた。

とか、

あることをキッカケに、

それまで見えなかったものが、

見えるようになった。

とか。

 

たしかに、雨というのは、

線ではない。

でも、人間の目からは線のようにも認識される。

 

線というのは、雨の瞬間ではない。

時間の経過がある。

瞬間でいうと、雨というのは粒でしかない。

 

もしかしたら、

線のように認識されるのは、

歌川広重が線で描いたことによって、

雨は、線だ

という認識あっての認識なのかもしれない。

 

ほんと、

不思議でおもしろいです。