モネピィの哲学

Twitterで歌ってます。 もね@mone_20201222

10:雨が線だという認識

雨を絵に描いたことあったっけ⁇

 

もしかしてないかもしれない。

でも、描くとしたらきっと、

「雨」を「線」で描くと思う。

 

今日読んでた本に、

昔は、

雨そのものが絵画として描かれることなく、

周りの変化、つまり、

傘やレインコートを着てる人

水溜まり

濡れた地面

などで雨が降っていることを描写していたんだとか。

 

そんなこと、今まで考えたことなかった。

雨が線で描かれることが普通だと思ってた。

 

初めて雨を線で表現したのは、

歌川広重で作品名は、

「大はしあたけの夕立」

 

それ以来、雨を線で描くのが一般的になったんだそうな。

ふむふむなるほど。

その作品のお陰で、

人々は「雨は線のように降っていたんだ」

と気付き、認識するようになったらしい。

 

さて、

認識とは、何だろう?

あるひとつのことに気付いてから、

世界がガラッと変わって見えた。

とか、

あることをキッカケに、

それまで見えなかったものが、

見えるようになった。

とか。

 

たしかに、雨というのは、

線ではない。

でも、人間の目からは線のようにも認識される。

 

線というのは、雨の瞬間ではない。

時間の経過がある。

瞬間でいうと、雨というのは粒でしかない。

 

もしかしたら、

線のように認識されるのは、

歌川広重が線で描いたことによって、

雨は、線だ

という認識あっての認識なのかもしれない。

 

ほんと、

不思議でおもしろいです。