モネピィの哲学

Twitterで歌ってます。 もね@mone_20201222

4:私と変化と孤独

今、

目の前にある辛い現実も

 

昔、

できた傷痕も

 

きっと、私が選んでるもので、

自分のせいで起きてるものだと思う。

 

いや、

でも、

周りの環境の影響で、

周りの人の影響で、

私は今辛い目にあってるし

あの人のせいで、

アイツがいなければ、、

 

たしかに。

大なり小なり、

毎日が、

自分1人では起こり得なかった結果の連続。

 

悪かったことに限らず、

 

良いことも同じで。

 

自分以外のモノの影響を受けた

ひとつの結果。

 

それは、

誰か

何か

人かもしれないし

物かもしれないし

出来事かもしれないし、

環境の変化によるモノかもしれない

 

たぶん私が思うに、

きっと、

あなたが良い悪いを判断してるとしたら、

 

何かと何かを比べた

 

ってことだけは確かだと思う。

 

だって、

良いと悪いというのは、

良いことと悪いことの両方を知っていて、

比べないと

判断できないものだから。

 

その判断の基準となるのは、

あなた自身の経験によって、

得た結果。

それが自分にとって良かったかどうかの判断。

 

その判断ってのは、

人それぞれ違う。

その人のそれまでの全ての経験を踏まえて考えた、

総合的に判断したものだから。

そりゃぁ人それぞれ違うに決まってる。

全ての経験が同じ人なんていない。

 

それが

価値観。

 

だから、

自分の良いと思ってるものが、

家族にとって、

友達にとって、

違うのは当たり前のこと。

 

だけど、

自分と同じだと勘違いしてしまうし、

自分の気持ちをどうにか分かって欲しい。

だけど、全く同じ気持ちなんて

分かるはずがない。

 

だから、みんな孤独。

 

だけど逆に考えると、

みんな孤独。

それは同じってこと。

 

 

どれだけ相手のことを知りたい分かりたいと思っても、分からない。

 

でも、

どうせ考えても分からないなら考えても無駄だとか、

人の気持ちなんて分からないから分かろうとするのを諦めようとか、

そういうことが言いたいんじゃなくて。

 

分からないを、

分かることで、

 

理解しようとし続けることができる!

 

ってこと。

 

分かってるって決めつけてしまったら、

それ以上考えなくなる。

 

人は毎日新しい経験を重ねていく。

つまり、

日々その人の価値観は更新されていく。

価値観によって、

考え方行動が変わっていく。

だとしたら、

人というのは毎日変わっていってる!

ってこと。

 

同じような毎日を繰り返していれば少しずつの変化かもしれないし、

たまに大きな出来事があったりして、

ガラッと考え方が変わることもある。

 

毎日変わっていってるのに、

 

あなたはいつもこうだから、今日もこうするに決まってる。

って決めつけたり、

 

あなたは昔は優しかったのに変わったね。

とか変化に対して皮肉を言ったりww

 

今年は例年と違ってるなぁ異常気象やな。

 

異常も何も、

変わることは当たり前ちゃうか?

 

って思ってしまう。

 

とか言って、今になってはこんな風に考えられるけど、

変化を受け入れられない時期があった。

 

高校3年の時に作った曲があって。

あの頃は、変わっていくことが寂しくて仕方なかった。そのことを歌にして残してある。

その歌詞の一部を抜粋すると、

 

「ずっと同じままが良いわけじゃないけど

ただ、

大人になっていくことが

夢を叶えていくことが

気持ちが変わっていくことが

寂しい。

服装が季節が言葉遣いが

時代が環境が

記憶が生活が

友達が変わる

いつの間にか

変わってくいつの間にか」

 

変わっていくことが寂しいってことに

向き合い続けた結果、

長い時間をかけてやっと、

変化を受け入れられるようになった。

 

あなたが日々変わっていくなら、

変わったことを理解しようとしつづけたい。

 

と思って、人を理解しようと頑張ってきたけど、

 

何故頑張ってるのか?

 

そう問いかけて気付いたことがある。

 

自分がして欲しいことを、

良かれと思って人にしてあげようとする。

自分がしてもらって嬉しいことは、

相手も嬉しいだろうと思ってしまう。

だから、

自分がして欲しいことを、

一生懸命になって相手にしてあげる。

それが、

本当に相手が望んでいるかどうかも考えずに。

 

なんで?

そんなに人を分かってあげようとするの?

 

私は私に問いかける。

 

それは、

私自身が、

誰よりも、

 

誰かに分かって欲しいと思ってるから

 

だってこと。